Irelandの妖精が集(つど)う森「環状フォート」:そこは聖域! (RTE-News, July 30, 2021)
その昔、どんな小さな山里や平地の集落にも、鎮守の森があって、道ばたに道祖神の石像が立っていた。そこは、決して穢(けが)してはならない (no-no)神聖な場 (sancturay)であり、「あの世とこの世」あるいは「神々の住む世界と俗世」との境にあるものと信じられた。
それが、あるとき (文明開化が叫ばれたころ)、その全てが「superstitions (迷信)」の一言で否定されると、その機に乗じた狡賢(ずるがしこ)い人間が、聖なる森を畑地に開墾し、石像を奪って銭に換えた。
しかし、地球の反対側に位置する Irelandは違った。
鎮守の森のように、草木の茂る「ringforts (環状フォート)」は、田園風景に溶け込み、「fariy forts (妖精のフォート[砦])」として恐れ、崇められて、今日まで大事に保存、保護されて来た。
それは人間の支配が及ばない、妖精が集う場 (fairy assenmbly places)であり、人間の世界と妖精の世界との「閾(しきい) 空間 (liminal space)」とも言える聖域とされた。
妖精 (fairies)の姿は、ほとんど人間の目に見えない。その上、妖精には魔力があって、どんなところにも現われ、いついかなる時のどんなことでも見聞きする力があると信じられた。それに、Irelandの妖精は「dark and malevolent (邪悪)」だ。
それでも、人間が妖精に干渉しなければ、何も危害を加えられることはないが、ひとたび、その機嫌を損ねると、大変なことになる。家族に病気や不幸をもたらし、家畜も家も、将来に及んで、とんでもない不運 (bad lucks)を招きかねない.
こんな話が伝えられている。
田舎に、ある農民が住んでいた。その男は、「fairy forts (フェアリー・フォート)」を軽んじ、その神聖な場所に鋤(すき)を掛けて畑地にしようと考えた。すると、突然、誰かに頭をこっぴどく叩かれた。その夜、ベッドに入った後で、蓄えてあったお金が盗まれ、翌朝になって、鋤(すき)を取りに馬小屋に入ると、馬はことごとく死んで、鋤(すき)が消えていた。その年は、さらに、次々と運の悪いことが続く。飼っていた牛まで盗まれ、自宅は火事で焼け落ち、畑の作物は全滅した。
なお、近年になって、Belfastの「DeLorean (デロリアン)」が潰れたのは、その工場を「fairy forts」に建設したためだと、ささやかれた。
だから、大抵の Irelandの人々は「fairies (妖精)」の祟(たた)り・仕返しを恐れ、「fairy forts」に近づかないで、そっとして置くことにしたのだ。
ただし、「fairy forts」は、考古学的には、鉄器時代から中世初期にかけて建造された「ring forts (環状土砦または円形土砦)」であり、Irelandでは
・raths:ラス
・lisses:リッセ
・dunes:デューン
・cashels:キャセル (石造りの砦)
とも呼ばれる。その多くは、周りを土塁や石垣で、ほぼ円形状に囲んだ、砦の形をしていて、そこからは先史時代の工芸品、青銅製の斧、矢じり、糸巻きの はずみ車などが発見される。人々は、それらが見つかると、妖精の「thunderbolt (雷挺)」、妖精のダーツ、妖精の石臼などと考えた。
(注:このRTEの記事は、「Gaway Mayo Institute of Techonology (ゴールウェイ・メイヨー工科大学) の Dr Marion McGarryが執筆。)
おわりに:探検・冒険の名のもとに、人間は多くの聖なる山・峰々を穢(けが)して来た。また、今でも、聖域である神社・仏閣に落書きをし、これを汚す不心得者が後を絶たない。
人の目を盗んだ、神々に背いた悪を、老子は「天網恢恢 疎にして漏らさず」と戒めた。悪は悪であり、どんなに非理屈を述べたところで、やってはいけないこともあるのだ。それを忘れてはならない。
(写真は添付のRTE Newsから引用)