Scotlandや兵 (つわもの) どもが夢の跡:アイラ島ダニーヴァイグ城址 (BBC-News, August 30, 2018)
あの「Romeo and Juliet」では、イタリアVerona (ヴェローナ)の町で「The Caplets (キャピュレット家)」と「The Montagues (モンターギュ-家)」が互いにいがみ合っていた
しかし、そのような「いがみ合い (feud)」は、かって、どこにでもあった。
タイムマシンに乗ってスコットランドの西に浮かぶ島「Island of Isaly (アイラ島)」に向かったとしよう。そこは、総面積620km2 (淡路島より少し大きめ) の小さな小島だ。
そして、時は1615年。
島の「Lagavulin Bay (ラガヴーリン湾)」に面した岬に「Dunyvaig Castle (ダニーヴァイグ城)」が建っていた。この城の攻防を巡って激しい戦いが続いた。
この地を含め、スコットランド西海岸一帯は、「The Lord of the Isles (島々の領主)」と呼ばれた「The MacDonalds (マクドナルド 一族)」が支配し、「Dunyvaig Castle (ダニーヴァイグ城)」はThe MacDonaldsの軍事拠点だった。
これを包囲し、攻撃を仕掛けたのが「The Campbells (キャンプベル 一族)」。コーダー城の城主だった「Sir Jon Campbell of Cawdor [1576-1642]」は、アイルランドの貴族で海軍司令官「Sir Oliver Lambari」の援護を受けて、galley ships (ガレー船)で「Dunyvaig Castle(ダニーヴァイグ城)」を包囲すると、猛烈な「bombardments (砲撃)」を浴びせて、ついにこの城を攻め落とす。1615年1月6日のことだった。
しかし、1646年、The MacDonaldsの子孫「Alasdair MacColla」がこの城を襲撃し、再び、「The MacDonalds」のものとなる。
その後、MacCollaは、年老いた父Colla Cioatochに城の守備を委ねたが、1年も経たずに「The Campbels」軍に包囲される。
Colla Cioatochは、度重なる戦闘ですでに崩れかけていた城壁に、泥炭(turf)まで積み重ねて応戦するが、1647年、敵に降伏し、城壁の外に吊されてしまう。
こうして、「Dunyvaig Castle (ダニーヴァイグ城)」は「The Campbells (キャンプベル 一族)」のものとなり、1677年に頭首がその地を去るまで、城の占拠は続いた。
現在、Reaging大学の Dr Darko Maričevićを中心とする研究チームが、「Dunyvaig Castle ruins (ダニーヴァイグ城址)」の発掘調査を進めている。
その発掘中に、Reading大学の学生 Ms Zoë Wiacekが、崩れた城壁の瓦礫の下から「価値ある1品」を発見した。
それは、The Campbellsの「紋章印 (clan seal)」。円盤状に鋳造された鉛印には、「IOANNIS CAMPBELL DE CALDER」と銘が刻まれ、一族の紋章と「galley ship (ガレー船)」、「stag (雄ジカ)」が彫られていた。印は「legal documents (公式文書)」に使われたもので、1593年の製造だった。
「Lochgriphead (ロッホギルヘッド)」の「Kilmartin Museum (キルマーティン博物館)」の Mr Roddy Reganは、この紋章印の発見から、次のような当時の戦いの場面が想像できるという。
『1646年にThe MacDonalds軍から襲撃を受けたThe Campbellsの部隊は、慌てて逃げる途中で、この紋章印を落としてしまったか、あるいは、壁の中に紋章印を隠して置いて、忘れてしまったものではないか』、と。
いずれにしても、「Dunyvaig Castle (ダニーヴァイグ城)」の攻防戦では「The MacDonalds (マクドナルド 一族)」は「The Campbells (キャンプベル 一族)」に敗北する。
しかし、その後、約300年足らずで、The MacDonaldsは世界を席巻する。小さな子どもでも、「トランプ」は知らなくとも「マクドナルド」なら知っている。今やモスクワ、北京はじめ、世界中の都市で見かける「ハンバーグ店」。スコットランドどころか、世界の市場を支配する、押しも押されもしない巨大企業になった。
(写真は添付のBBC Newsから引用)