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イギリス人はどこから来たか?:DNA解析でルーツを探る! (BBC-Science & Environment, April 11, 2018)

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 ヨーロッパ大陸では、民族が移動すると、激しい戦いが起こり、征服(勝者)と服従(敗者)の関係が生まれ、そのつど、文化・言語そして民族の混雑が発生した。
 ヨーロッパ大陸に寄り添うように位置するBritain島とて例外ではない。
 
 さて、現在のイギリス人の「遺伝子学的特徴 (genetic landscape)」の骨格は、「Bronze Age (青銅器時代)」に形作られたとされて来た。しかし、Harvard Medical School (ハーバード大学医学大学院)の David Reich教授らの研究グループは、時系列的な遺伝子変化に注目し、イギリス全土で新たに発掘された古代人の遺骨約1,000ヶについてDNA解析を行ない、過去にBritain島で繰り広げられた民族間の戦いの歴史の中で、どのように遺伝子が変化してきたのかを詳細に調べた。
 すると、侵略と戦いを何度も繰り返し、民族の混雑が予想以上に起きていたことが明らかになった。
 そのReich教授ら研究結果に基づいて、Britain島が、Normans (ノルマン人すなわちVinkings (バイキング)によって1066年に征服されるまでの、約5,000年の歴史の全貌を「The History of the English Language, Oxford Univ. Press (2008)」も参考にしてまとめると、以下のようになる。

1.Neolithic period (新石器時代後期):BC4,000年頃
 そもそもヨーロッパ人の先祖は、BC5,000年頃、ロシア南部に住み、「Proto-Indo-European (インド・ヨーロッパ祖語)」を話していた「Kurgans (クルガン人)」に遡る。その民族は、BC4,000の頃、突然、西に、あるいは東へと散り散りに移動し始める。Britain島に渡ったのは新石器時代の後期だった。西方に向かったKurgansは、ヨーロッパ一帯で広口の壺を利用していたことから「Beakers  (ビーカー人」とも呼ばれる。England の南部に足を踏み入れたのは Beakersの一族「Celts (ケルトの民)」だった。

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2.Bronze Age (青銅器時代):BC3,500 - BC1,000
Celtsは「metal-working (金属加工)」の技術に優れていた。その加工技術をEnglandに伝えもしたが、当然ながら、それまで、そこに住んでいた人々との間に争いが起こる。 先住民は、Stonehenge (ストーン・ヘンジ)などのモニュメントを石で造って平和に暮らしていた農業の民だった。Celtsは、またたく間に一帯を支配する。

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3.Iron Age (鉄器時代):BC1,000 -
 鉄器時代のある時点で、Celtsの侵入以前に住んでいた先住民とCeltsとの間で、大規模な民族の混雑 (congestion)が起こる。(それが戦闘の結果であったのか、それとも平和的な交際であったのかは不明。) その混雑の規模は、 それから約1,000年後に、Anglo-SaxonがEnglandに侵入したときよりも激しいものだったという。
 これで、先住民の 90%はCeltsによって駆逐された。しかし、Reich教授によると、このとき、先住民の一部は、Celtsの追撃を逃れ、人目につかない地で密かに生き延びたと考えられるという。

 しかし、多勢に無勢。孤立しながらも純血を保っていた先住民は、ついに、多数派のCeltsに呑み込まれて、消滅してしまう。その結果、Britain島の Celtsの血は薄められ、先祖をともにした「地中海沿岸の Beakers」とは、遺伝子に大きな違いが現われるようになる。

4.Roman Occupation (古代ローマ統治時代):AD43 - AD410
AD43年にイタリア半島からローマ軍がBritain島に侵入する。強大なローマ軍にとっては、ほとんど敵無しの状態だった。以後、約400年間、Englandを占拠し、古代ローマ帝国の統治下に置く。その統治時代にも、これまで考えられていた以上に、民族の混雑が起きていたことが、DNA解析で分かったという。
 
5.Anglo-Saxon England (アングロ・サクソン人の支配):AD449 - AD1066
古代ローマ帝国の力が衰退し、AD410年、ローマ軍がEnglandを去ると、これを待ちかねていたかのように、AD449年、デンマークのJutland (ユトランド半島)ならびに直ぐ近くの Angeln (アンゲルン半島)から「Jutes (ジュート人)」、「Angles (アングル人)」がEngland南部に上陸する。つづいて、AD477年ドイツ北部の「Saxons (サクソン人)」が続々とやって来る。彼ら「invaders (侵略者)」が古代ローマ人と違った点は、それまで住んでいたCeltsの土地を奪い、Celtsを、当時、辺境の地であった西のWales, 北のScotland、南西端のCornwallへと追いやったことだ。

 侵略者のサクソン人は「British Celts」を「Wealas (外国人)」と呼んだ。後に、このWealasは「Celts and servants (ケルト人、召使い) のどちらの意味も持つようになる。それがWalesの語源だ。

 やがて、Jutes, Angles, Saxonsの侵略者たちは、それぞれ幾つもの「kingdoms (王国)」をつくり、互いに勢力争いを繰り広げることになる。

 この一連の歴史の流れの中で、人々は「文化、言語の融合」を手にした、と前向きに見ることもできるが、歴史は、生き残りを賭けた「民族間の戦いと殺戮」の連続だったとも捉えることもできよう。失ったものの方が、はるかに大きかったはずだ。

                  (写真は添付のBBC Newsから引用)

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