幾つもの巨大なピラミッド神殿を築き、精密な暦(こよみ)を作り、人の顔を主体とする絵文字まで持っていたマヤ文明 (Mayan Civilisation)。これが、なぜ崩壊したのか。
確かに、この時代、不作 (poor harvests) が続いて食糧不足に陥ったことや、「疫病の蔓延 (outbreak of plague)」で社会が混乱し、政情も不安定 (political instability) になっていたことは事実だ。
しかし、その崩壊の切っ掛けは、AD 540 年の火山「El Chichon (エルチチョン)」の大爆発だった。
この活火山は 1982 年にも大爆発を起こし、そのときは 2,000 人の犠牲者が出た。ところが、AD 540 年の噴火は、その爆発を遥かに凌ぐ規模だった。なお、AD 536 年に北アメリカの Alaska の火山が大噴火を起こしていた。相次いだ 2 度の火山噴火で、空中には大量の粉じんと「硫酸塩エアロゾル (sulphate aerosols)」が舞い上がった。この影響で、北ヨーロッパの夏期の気温は、平均 2℃も下がったと推定されている。
オランダの Utrecht (ユトレヒト) 大学の Kees Nooren氏らが、El Chichon (エルチチョン)火山周辺一帯の地層を調べ、AD 540 年の噴火では、相当量の火山灰 (tephra) が広範囲に降り積もったことを明らかした。
マヤの人々の多くは、耕作地に降り積もった火山灰にどうしようもなくなり、慣れ親しんだ土地を離れざるを得なかったのだ。
マヤ族は「内輪もめ」に明け暮れている内に、天に見放されたのであろうか。文明は、火山噴火や地震、大雨などの自然災害に何と弱いことか。
(写真は添付のBBC Newsから引用)